~一藤暗黒期~
私が20歳で経理社員として一藤に入社して間もなく、日本経済を大きく揺るがすバブル崩壊が訪れました。
建設業界は比較的遅れてその影響が表れましたが、やがて景気は徐々に悪化。好調だったころの売上高は半分ほどにまで落ち込んでしまいました。
さらに当時は法人税の負担も重く、会社の資金繰りは厳しさを増していきました。
1993年頃から2010年頃まで、長い不景気の時代が続きます。仕事を受注するためには同業者4社ほどとの相見積もりで勝負することも珍しくありません。価格競争の厳しい世界に突入していったのです。
そんな中、私は経理事務員として入社したものの、自ら希望して現場社員へと移動しました。
実際に現場に出てみると、仕事が少なく、半年以上も事務所で過ごす現場社員もいるほどでした。
仕事がなければ売り上げは立たない。しかし当時の幹部社員達は積極的に営業活動を行おうとしません。仕事が減っているにも関わらず、新しい仕事を獲得できないまま、会社の資金繰りは徐々に苦しくなっていきました。
また当時の一藤は、横浜市西区の本社に先代社長、事務員1名、図面作成担当社員3名、現場社員2~3名が在籍し、座間営業所に当時の専務と私を含む現場社員6名ほどが在籍していました。
しかし本社と座間営業所の間では報告・連絡・相談が十分にできておらず、社内の連携がうまくいっていない状態であると一社員ながら感じていました。
仕事がない。資金繰りも苦しい。社内の連携もうまくいかない。
さらに私は度々本社に呼ばれ、借り入れのための連帯保証人として書類に判を押すことも多々ありました。
まさに「一藤暗黒期」と呼べる時代だったと思います。

この時代の経験は、決して楽しい思い出ではありません。しかしあの苦しい時代があったからこそ、会社を経営するうえで何が大切なのか考えるようになりました。会社を存続させることは決して簡単ではない。その現実を身をもって体験したのです。
人は同じ環境に長く身を置いていると、いつの間にか現状に慣れてしまうことがあります。
「今までこうしてきたから」「何とかなるだろう」そんな気持ちが積み重なり、変化の必要性に気付かなくなってしまう。
いわゆる「ぬるま湯状態」です。そして気付かないうちに少しずつ状況が悪化していく。まさに「ゆでガエル」です。
会社にとって本当に怖いのは、目の前の危機だけでなく、危機が迫っていることに気付けなくなることなのかもしれません。
本社と座間営業所の距離が離れていたことだけが問題ではありません。
お互いの状況を知り、困っていることを共有し、同じ方向を向いて仕事をする。
そうした日々の積み重ねが足りなければ、物理的な距離以上に、心の距離も離れてしまいます。
だからこそ、会社には人と人とのつながりが必要です。
「人の距離は、心の距離につながる。」

社員同士が声を掛け合い、情報を共有し、問題があれば一緒に考える。
そんな当たり前のことを当たり前にできる組織でなければならないと感じました。
会社は仕事があって初めて成り立ちます。そして仕事を生み出すのも、現場を支えるのも、会社を守るのも、最後は人です。
一藤がこれからも成長し、社員が安心して働ける会社であり続けるために何が必要なのか。
20代半ばの私が抱いたその問いは、今も私の中にあります。
あの暗黒期を経験したからこそ、見えてきたものがある。
その答えを探す私の歩みは、まだ続いています。
株式会社一藤
代表取締役 佐藤花月
執筆者

株式会社一藤 代表取締役 佐藤花月
1987年創業の株式会社一藤にて、20歳で経理として入社。
10年の現場経験を経て32歳で代表取締役に就任。
鉄道・橋梁・高速道路など首都圏インフラ建設に30年以上従事。
全日本空手道連盟公認六段
日本スポーツ協会空手道コーチ2(上級指導員)
櫻空横浜空手道場本部指導員
国体・全日本出場
日本スポーツマスターズ空手道競技会 優勝7回


