ー創業時の話ー
一藤を先代である父が創業したのは1987年。
当時、父が46歳、私は16歳でした。
下町にあるトタン造りの自宅兼貸しアパートを営みながら工事会社の部長をしていた父でしたが、ある日突然、家族に言いました。
「会社を辞めて、自分の会社を起こしたい。」
当時の私はどちらかといえば保守的な考えでしたので
「今の会社で頑張って出世すればいいじゃないか」と反対しました。
しかしそこは昭和の頑固親父です。
一度決めたことを曲げることはありません。
父の意思は固く、会社を起こすこととなりました。

いざ会社を設立するとなると、役員を複数人揃える必要があったり、資本金を準備したりと
いろいろ苦労していたことを薄っすらと覚えています。
そんなある日、自宅で父は私に
「会社名を決めろ!」
と言ってきました。
当時高校生だった私に、そんなことを突然言われても思いつくはずもありません。
結局企業メンバーの名前から一文字ずつ取って
「有限会社一藤設計事務所」
という社名になったことを後になって知りました。
そして会社として初めて購入したトラック。
そのトラックのボディに入れる社名のロゴを考えたのは私でした。
高校生の私に会社のロゴを決めさせるというのも、なかなか無茶な話です。
創業当時、母も事務仕事を手伝うため、賃貸事務所へ通っていました。
しかし当時の経理担当のおばちゃんが、母とはどうも反りが合わなかったようで、
母は早々に専業主婦へと返り咲いたことを覚えています。
ちなみにそのおばちゃんは後に私の上司となりますが、大変可愛がっていただきました。
そして創業から約2年半後・・
「株式会社一藤」を新たに設立し、設計部門と工事部門を分ける形で会社を運営することになりました。
ただ、ここに至るまでには、もう一つ大きな出来事がありました。
父が勤めていた会社を辞める際、なんと5人の仲間がついてきてしまったのです。
これはさすがに父も想定外だったようで
「まさか5人も・・・」
と驚いていたことをよく覚えています。
そのことが原因で前の会社との間で裁判沙汰となり、
5人同時に退職したことに対する損害賠償金の請求が来ることになります。
その時、父が言った言葉が今でも強く印象に残っています。
「払って済むなら、楽な話だ。」
父はそう言って5人分の損害賠償金を支払いました。
その振り込みを任されたのは、当時入社したばかりの私です。(笑)
創業というのは決して格好のいい話ばかりではありません。
お金の苦労もあれば、人との関係で悩むこともある。
思い通りにならないことも、当然のようにあります。
それでも父は自分の信じた道を進みました。
そして、その背中を見ながら、私は少しずつ 〈会社〉 というものを知っていったのだと思います。
今、一藤がこうして会社として歩み続けていられるのも
父と共に挑戦してくれた仲間たち、これまで一藤を支えてくださった多くの人の力のおかげです。
あの頃の父の決断と、16歳だった自分の記憶を振り返ると、あらためて
「会社は人がつくるもの」なのだと感じます。
これからも、創業者である父の思いを大切にしながら
一藤らしい歩みを続けていきたいと思います。
株式会社一藤
代表取締役 佐藤花月
執筆者

株式会社一藤 代表取締役 佐藤花月
1987年創業の株式会社一藤にて、20歳で経理として入社。
10年の現場経験を経て32歳で代表取締役に就任。
鉄道・橋梁・高速道路など首都圏インフラ建設に30年以上従事。
全日本空手道連盟公認六段
日本スポーツ協会空手道コーチ2(上級指導員)
櫻空横浜空手道場本部指導員
国体・全日本出場
日本スポーツマスターズ空手道競技会 優勝6回


